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2013年01月22日

【特集】芝、地籍地図で歩く大正期の水路敷

大正元年発行の「東京市及接続郡部地籍地図」をもとに、芝地域の水路敷と思われるところを歩いてみた。上下巻と地籍台帳から成るこの書籍は近代デジタルライブラリーで公開している。拙ブログでも解説しているので、よかったら見てほしい。

この地域では、旧海岸通り以西の入間川の流路だとか、細川上水だとかよくわからないことがあるが、まずは土地の履歴に忠実に、地籍図で確実に水路敷であったとわかる場所をなぞってみたい。

今回歩いた地域の地図はこちら。芝一丁目から五丁目、および隣接地域となっている。水路の名称などはあえて付していない。


より大きな地図で 芝の水路敷 - 大正末の地籍地図から を表示


まずは中心となる三田四国町(リンクは地籍地図の当該ページ)、地図中の水路A-1から。

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地籍地図での水路敷のスタートは、桜田通りから1街区入ったところからとなっている。歩道部分がそれに相当するだろうか。

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すぐに段差のある交差点になる。この段差は江戸時代の屋敷町だった頃からのもの。段差までで水路が終わっていたと思いたくなるがそうではない。左側に沿って進む。かつての三田英語学校、いまは日本語学校が入っているビルの足元を見ても、やや下っているのがわかる。

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ここの交差点で南下(右折)し、都営芝五丁目アパート(旧電車車庫)に突っ込むように流れていたようだが、特に痕跡はなかった。

水路A-2はごく短い。芝税務署前にそれらしい路地がある。奥まで行かず、ビルひとつ分で終わりのようだ。その先も家と道のスペースがややあやしいが、地籍地図的にはなんとも言えない。元はもっと続いていたものだろうか。

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地下鉄三田駅は地籍地図では「薩摩原(さつまっぱら)」電停となっている。A-3はその電停のあった日比谷通りを渡った本芝入横町。おそらく続きだと思うので通し番号にした。歩道部分が水路敷跡か。

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くねくねと曲がって本芝下町に入り北へ進む。ふたたび三田四国町に入る手前(東京女子学園高校裏)で地図から消えてしまう。入間川につながっていたのだと思う。


東に移動する。法音寺・正念寺の間の道には井戸がある。敷地としては駐車場だが。

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続いては入間川側から水路H-1を見ていく。西応寺町と金杉四丁目の境となっている水路だ。いまもビルの間にはっきりとした暗渠がある。

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下水道局の境界標があるのでまさに現役水路敷だ。

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もちろん暗渠の様子も見ることができる。

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進んでいくとマンションの駐輪場に出る。

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この先も同じ調子の暗渠があるのだが、駐輪場と柵で進めない。

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どう見ても暗渠の舗装はあるのだが・・・。

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しょうがないので西へ出て芝商店街を回って北側の続きを探す。しかし痕跡は忽然と消えてしまう(下水道台帳図でも途中で終わっている)。安楽寺の西側で出てくるはずなのだが・・・この道路の段差が唯一あやしいところか。

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この路地の突き当りが、新堀町が南に突き出したところで水路が少し曲がって消えている箇所(どの図にも続きがない)。現況は暗渠のようだが地籍地図的には水路敷は行方不明。

この北は新堀町と金杉一丁目−三丁目の境に続く(水路H-2)。地図では橋の描かれた立派な水路なのだが、現在はほとんど跡形も無い(土地境界としては生きているようだが、見られない)。このビルのすきま(第一京浜の歩道橋の西、広い街路が狭くなるところ)が位置としては水路なのだが・・・。

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結局その北(水路Gに接続していた)もモロにビルの下なので何もない。撤退。


歩道橋を渡ってさらに東へ出て、金杉浜町の短い水路跡を訪問。

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家屋との段差がそれっぽいが、あまりに短い。


水路Fは芝商店街の西側歩道だが、街区に段差があるほかは特にそれらしい痕跡はない。

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その他新堀町の水路跡はほとんど道路敷となり、本数はあるものの見どころに乏しかった。


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西に戻って三田四国町・芝小学校裏の水路Dは、このまま入間川に進んでいたもよう。これを細川用水(上水)とするのかはよく知らない。

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ここが水路Dの角となっているところ。育種場・競馬場の角だったところでもある。西に進んでみる。

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ここが少しだけ水路跡っぽいだろうか。四国町北部は戦災で焼けた地域でもあり、どれくらい水路が続いていたのかもあやしいが。


実は今回は「横丁・小径学会」の下見なので、路地をたくさん歩いた(それらは散策家しかすけブログのほうにまた掲載する)。

大名屋敷地が多かった旧三田四国町のうち北半分(現在の芝三丁目)は、1877-1886年まで三田育種場・農興競馬場等があり、その後払い下げられ川崎銀行・三井銀行・堀越角次郎などが取得、宅地区画化したようだ。

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芝三丁目(北四国町)は比較的小さな街区であるのに、このような細い路地がさらにそこに交差する。こうした狭い路地を見ると我々水路好きはすぐ暗渠と特定しがちだが、一度育種場として使われていて過去からの土地利用の流れが絶たれていて、地籍地図を見ても水路としての履歴は読み取れない。「港区芝3丁目における町の構造とその特性に関する研究」(野田亜木子・中津秀之,2004)によれば、これらの細い街路はくみとりに利用されていたということである。用途としてはある意味下水(人力)ではあるが水路ではない。現在は路地は町会で管理されているようで、街灯やブロック敷も町会によるものであろう。


赤羽町の水路Cはビル敷地・歩道になっている(ストリートビューで見よう)。これは堀のようなものに見え、水路Dとつながっていたのかはよくわからない。また水路Bは入間川の続きのような水路だが、明治以降の排水路だろうかと思う。特にめぼしいものはないので略。


三田国際ビルの南、三田一丁目すきまAは水路敷なのかいまひとつわからない。

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確かにビルの間に今もすきまの土地がある。蓋暗渠にコンクリートをかぶせたようにも見えるが、反対から見ると草地だ。江戸時代の屋敷地と町家との境界のようだが、水路があったにしては高さがやや半端で、公図上は「無」かもしれない。

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地図上はこの先にもしばらく続く。そこに水元稲荷というのがあり、もしかするとこの近くに水源地があったのかもしれない(次第に崖地となる)。

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という感じで、地籍地図から辿れる水路跡としてはこんなものかと思う。やはり現役暗渠H-1が魅力的だ。あとは暗渠とは言えない、元水路敷がほとんどのようである。


おまけとして、側溝など。

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三田マンションの擁壁の下、側溝を埋めたような感じ。


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現在建て替え中の弘法寺龍生院の北側の側溝はなんともレトロ。思わずカメラを突っ込んで撮った。

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東京都心の道路の側溝では、なかなかこの造りは見られないと思う。

タグ:港区
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2013年01月17日

0566 上蛇窪

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現在の戸越・豊町あたり、品川用水から立会川方面への川跡をだらだらと歩いた。
タグ:品川区
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2013年01月05日

0565 御殿場市の暗渠

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御殿場シリーズの最後は駅前ロータリーの暗渠。お付き合いありがとうございました。

今回紹介範囲の御殿場市街地の簡易な水路マップはこちら。御殿場は富士山からの豊富な湧き水が流れ、箱根を北と南に回りこむふたつの水系のはざまでもあるということで、個人的には面白い水路風景の楽しめた市街地だった。
タグ:御殿場市
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2013年01月04日

0564 御殿場市の暗渠

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御殿場駅東側、わかりやすい暗渠道。
タグ:御殿場市
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2013年01月03日

0563 御殿場市の水路

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コンクリート張りの水路だが奥のしげり具合がなかなかのもの。
タグ:御殿場市
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2013年01月02日

0562 御殿場市の水路跡

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建物を回り込んでいる水路跡と思しき土地。暗渠かどうかは不明。
タグ:御殿場市
posted by しかすけ at 13:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 暗渠・川跡(未整備型) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月01日

2013年もよろしくお願いします

あけましておめでとうございます。

昨年末はいろいろと忙しかったこともあり一時更新停止してしまったが、今年はまた通常通りの1日1枚の更新を目標に頑張って行きたいので、どうかよろしく。また、コラム的記事やストリートビューからの記事構築も挑戦していくつもりなので、掲載された際はぜひ見ていてただきたい。

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東京西部は谷がはっきりとしている。これは土地として考えれば、青地(水)または地目が用悪水路・河川・井溝・池沼などであった部分が狭く確立されているということでもある。

また東京は早期に宅地化(=土地境界の動かしづらさ)が進み、筆界が変わらない場所が多いということもあり、過去の水路敷がそのまま排水用途に使用され続けなければならなかった背景がある(計画的に広い道路や調整池・下水の整備、主要河川の改修ができれば細い水路敷に頼ることも少なくなる)。

この「はっきりとした谷」「早期の都市化」という特殊な土地を見る感覚は、そういう限られた地域には通用するが、他ではそうはいかないこともある。他の地域で公図をひらけば、明治時代に「水」あるいは水関係の地目とされた土地は、街を歩いて目に見える・あるいは一般の地図で見えるよりはるかにたくさんある。そして今もそれが多数残っていて、区画整理や払い下げ等で簡単に消えていく。また、それらの水路跡は「暗渠」ではない場合が多々ある。土地によってはわざわざ全ての水路敷を排水のために暗渠として使う必要はない。これらをたどる場合、「川跡=暗渠」のような見方・言い方は適切ではなくなってくる。

いま、歩いて地形を楽しんだり川跡をたどる動きは東京を中心に盛り上がっているが、東京(の一部)の見方をそのまま他地域に適用するのは危険というか、下手をするとその地域の地形・土地履歴の魅力を感じ取りづらくさせてしまう場合があると思う。私も時間・資金的に東京あるいはその近郊が歩行のメインにならざるを得ないが、「東京の見方が全て」にならないように、注意を払うつもりだ。

そんな自戒をこめて、今年のスイロット・アンキョを始めていきたい。ここは東京だけではなく、地球すべての水路・水路跡の風景を楽しめるブログでありたいからだ。
posted by しかすけ at 16:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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