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2015年06月29日

0610 戸越銀座の暗渠・川跡(後編)

※これは戸越銀座駅付近から北に伸びる水路跡の記事の続きです。
 前回まではこちら→ 前編 中編


今回の地図はこちら(前回と同じ)。


コンクリ部分が終わり、中原街道に出る手前はこのようなカーブになっている。ここは二択を迫られる。道の下か、筆界かである。私は筆界、つまり道ではない、建物の左側が川跡だろうと思う。

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よく地図を見て欲しい。まず、中原街道は新しい道だから、その両側の街路はもともとつながっていた可能性が高い。たとえば暗渠の1本南西側の道がそうだ。

一方、中原街道に南東側からつながる街路を見てみると、中原街道の20−25メートルほど手前で角度修正して、直角に近い角度でぶつかってはいないか。これは大通り沿いを不整形地にしないための措置だ。この暗渠路地もその例に漏れず、ほぼ直角に中原街道に向かう。元の川がそうであったかといえば、たまたまそのように流れていない限りおそらく違うだろう。

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中原街道側から覗いてみると、あれ、なんかこう、溝があったような変な亀裂があるじゃないですか。これはかなりあやしい。で、この次の区間が今回本当に見たかったところ。中原街道を渡ってなお、この続きがある。はず。ストリートビューではいまいちよく見えないが、地図ではやっぱり家と家の境が、ちょっと湾曲している。そう、筆界は裏切らない。

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で、反対側の歩道にはこんなものがあり、じゃあっつって左手を覗いてみたらよ。

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あこりゃ期待にたがわぬ蓋暗渠ですわ。なぜだかスクールゾーンの柵で遮っているけど、立派な暗渠だ。これが見たかったんだよ。これが。これ見れただけで今日は80%満足。

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奥をズーム。ちゃんと続いている。右側にやや壊れかかった低い擁壁もあるようだ。カーブしているので見渡せない。反対側へ回ってみる。

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まったくきれいに蓋暗渠が続いている(写真上、下流向き)。いやー素晴らしい。こっちもなぜかスクールゾーンだけど。普通のトラ柵はなかったのか、品川区。隣のマンションのコインランドリーの案内矢印が暗渠を指しているように見えてしかたがないのは自分だけか・・・(写真下)。

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さて、この流れは地図でもわかるとおり、品川用水から出て星薬科大学の横を流れてくるもの。ここはlotus62さん(高山さん)が以前に少し書かれている。『暗渠マニアック!』発売おめでとうございます(この日に書店で買いました)。本田さんの記事と高山さんの記事、つながってたんですね。

ということで上流へと進む。蓋暗渠から身を翻すとこんな街路で、一見川跡っぽくない。

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ただし左側に隠しアイテム、銀座三越提供(?)の町名案内板あり。

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進んでいくとまもなく星薬科大学が左手に見える。右側は荏原第一中学校。下の写真のあたりでわかりやすく暗渠になる。歩道が始まるからだが、右側の道幅が変わっているのにも注目。ここは水路のほうがカクンとなっていたように見える。クランクは水路がまっすぐな場合と道がまっすぐな場合の両方があり、また公図を扱う仕事の経験上、平行したままカクンとする場合も見たことがあるので早合点は禁物だが、歩道が水路敷ならまあ良しとしよう。

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写真上の道幅の変化。これは地図で解決、手前から右への道が先にあり、向こうからの道があとでできたようだ。歩道暗渠は続いているのでどうでもいいか。

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この歩道暗渠、なぜか一度車道と離れて登る(写真上)。そしてそこだけ蓋暗渠になる(写真下)。

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なぜ登ったのか。しまいには、またすぐ降るのである(写真下)。用水だから高いところから分水していく必要はあるだろうが、この部分に何かあったのか、元々の土地の高さなのか。ここだけ蓋暗渠ということは、何らかのメンテナンスができるようにという措置なのは間違いないと思うが。水車とか埋まってたら面白い。

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降ったあと、まもなく品川用水に出くわして上流端となる。このスクールゾーンは本物である。スクールゾーン暗渠と言ってもいい(よくない)。

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ということで、戸越銀座の暗渠・川跡シリーズ三部作は(単に写真が多いから分けただけだが)これでおしまい。間違っている推測もいくつかあろうとは思うが(正解は法務局に公図でも取りに行かないとわからない)、散策家としてはおもしろく歩くことができたし、地図・写真からの情報と現地での状況を結びつけて妥当な流路を見つけていくという推理もやはり楽しいものだと再認識できた。これだから川跡調べは素晴らしい。

今回大いに参考にさせていただいたお二人の著書、本田創さん『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』/吉村生さん・高山英男さん『暗渠マニアック!』皆さんもぜひどうぞ。
※リンク先はAmazonです。

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タグ:品川区
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0609 戸越銀座の暗渠・川跡(中編)

前編の続き。

今回の地図はこちら(前回と同じ)。

戸越銀座駅西側で北に分岐する谷があり、これは前編冒頭の本田さんの記事に(途中まで)書かれている。ここではまず西へ進む流れを追う。

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駅のすぐ西、流路としてマッピングした位置に、またクリーニング店を発見。ここも商店街から奥まった位置にあたる。あとはあまりこれというものは感じ取れず、商店街の通りの1軒分北に1メートルに満たない段差(写真下)が続いていて、おそらくその下あたりかなあ、などと思っているうちに中原街道・荏原二丁目交差点に出てしまう。

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交差点より先、旧中原街道までの二車線道路には、途中までしかない細い歩道と、マンションがやや後退したと思われる細い歩道の両側があるが、その部分が暗渠かまでは断言できない(私は水路敷の歩道利用は足立区くらいわかりやすくないと信用しない)。

旧中原街道を渡って直進かと思うかもしれないが、ここは少なくとも川跡の土地としては右折しているのではないか。写真下、妙な植え込みがそれだろう。黄色いブロックのほうが下流、手前が上流。旧道沿いにここだけ植え込みと歩道を作る意味はなく、道路用地ではないと見るのが妥当だと考える。

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植え込みの角を曲がる。明治の地図ではこの荏原二丁目10・11あたりも狭い谷戸田になっていたようで、両側に水路ということもありうるが、とりあえず私のマッピングした地図ではこちらを採用している。車はほぼ入れず、出っ張って造られた水受けがあったりして、非常に暗渠っぽい。

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降りてくる階段があるのも説得力を増す。もともと繋ぐ必要がある道同士はこんなことはしないのだ。

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10・11の境のところで道幅が変わる(写真上、下流向き)。境となっている道も、こちらにやや降って来て幅も暗渠っぽいが短いため不明(写真下)。

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さらに進むとT字路になる。ここも微妙に道路形状がおかしいことに気づく。先ほどの道幅変更が水路敷+道路と仮定しそのまま直進したならば右側が水路のはずで、ここで左に曲がっていることになる(写真下、上流向き)。なんて現地で気づいたようなことを言っているが、ここまでほとんど机上で調べたことのなぞりである。

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曲がった先は品川用水が待つのみで、水路跡らしい痕跡は乏しいが、下のほうの大谷石が擁壁の跡っぽくはある。この写真の背後に品川用水があり、地図では表現されていないが最後にわずかにクッと曲がって終わりとなる(合流点とか別になにもないから写真も載せないよ)。

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本流はここまで。北の谷に行こう。というかそっちに行きたかったのだ。


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ここは何というか、端正な暗渠だ。これぞという暗渠だ。誰に紹介しても「なるほどこれが」と言って貰えそうな、そういう暗渠。ちなみに歩いている人も普通にいた。

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コンクリ舗装というのが個人的には好き。マンホールを踏むとかなりポコポコと音がする。ここまで1日おきに歩いている疲れのせいか、写真が傾きまくりでごめんなさい。

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左から階段が降りてくる。どうやって建てたのかという家がひしめく路地だった。

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分岐がやってきた。右の暗渠道はごく短く、続きもよくわからない(写真下、下流向き)。雰囲気は似ている。小さな池があったようで、それに繋がる流れだった可能性はある。池の位置はここも推測。

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戻ってきて、コンクリ部分を追いかけていく。ちなみに西側に短い支流みたいな路地があるが水路跡かどうかは不明。幅は似ているが・・・あまりに短い。

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このアパートの炊事場みたいなところの前でコンクリは終わってしまう。でも、ここで終わりはないでしょう。そう、この先を確かめに来たのだから・・・。

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また写真点数が増えたので後編に続く


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0608 戸越銀座の暗渠・川跡(前編)

つい数日前、本田創さんのブログ記事「戸越銀座最深部の暗渠へ」を読ませていただき、ふと思い出したことがあった。以前、戸越銀座にあるケーブルテレビ品川さんの2番組に出させて頂いた時に、ついでに歩こうと思いつつ行かずじまいになっていた暗渠があったのだ。もっとも、机上調査ばかりで歩かない暗渠のほうが多いのだけど・・・。

せっかく思い出したことだし、夏場からは取れる時間も少なくなるので、今のうちに歩いてしまおうと思う。どうせなら戸越銀座の谷全体を一度に歩きたい。

今回の地図はこちら



自分は暗渠・川跡を調べる際には、非常に直線的なやり方をする。

第一にさまざまな地図・航空写真というヒントから流路を推測する。第二に現地で実況見分した結果と推測を照合し、妥当かどうかを判断する。ひたすらこれである。基本的に文献や証言は集めない。自分は地図屋であり、また散策家だから、これで充分楽しめてしまうのだ。

何よりも、筆界は裏切らない(筆界=土地の境界線)。明治の地租改正時に決定づけられた地番と筆は、全体を覆すような区画整理でもしないかぎり、かなり残っている。逆に土地境界の形状にすら嘘をつかれたのでは、我々は安心して家も建てられない。もっとも私は別の意味で建てられないが・・・。いつか地図と散策で家を建てたいものである。


前置きはこのくらいにして、今回は東海道新幹線より西の戸越銀座の谷を歩く。それより東はまったく様相が変わっていて、そもそも戸越じゃないので。現在は長い直線の商店街として有名な戸越銀座界隈は、大正頃までは田圃や湿地だった。南北両側に坂・崖がありそちらが一足先に宅地化していき、谷底の直線的な道路は後からできたものだ。戸越の川跡が直線だったわけではない。

明治〜大正の地図において、戸越の川の流れはおおむね西から東へと進み、現在の戸越銀座の東端(三ツ木通り会)で南東へと曲がっている。机上では、この曲がりが土地境界に表れている。まずはここを現地で新幹線のほうから見てみよう。

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北西(上流)を向いた写真。駐車場は崖下にあり、2本の階段がある。低いほうの石積みが、おそらく河川敷との境界である。地図では反対側(商店街側)に上から見ると三角形の家屋があるが、土地が昔からこう切れてでもいない限り、こんな家は建たない。どちら側にも河川敷そのものはないが、筆界にその川跡は「はっきりと」残っている。下の写真、駐車場の川筋を伸ばしたあたりに埋まっている石がもしかすると遺構かもしれない。
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谷筋は三ツ木通りからしばらくは商店街の道とほぼ平行する。下水道台帳図で雨水管が始まる位置にある三ツ木公園は元は公設市場だったという。小さな敷地だから、おそらく公設小売市場なのだろう。その公園付近には旧三井邸(文庫の森・戸越公園)方面への道が南西に伸びていたようだが、これは完全になくなっている。しかし幸い川跡とほとんど関係ない。

戸越銀座に入り川跡が蛇行し始めるのは、おそらく戸越二丁目6のあたりからである。以下の西(上流)向きの写真を見ていただきたい。

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商店街の通りは確かに触れ込み通りの「ほぼ」まっすぐだが、なぜか左右にズレがある。この左側(南側)こそ、川の蛇行跡である。水路敷は公共用地(現在は市区町村のもの)だからここまではそれを利用して道路にしたのだろうが、ここからは曲がるために川跡を追って道路にするのは諦めたのだろう。

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染物屋を発見(写真上)。これが商店街には間口がなく、南の奥に入ったところにあるというのも、川跡が通りを外れているためかもしれない。この少し先で、蛇行側へ入れて通りぬけもできる路地を覗いてみた。

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階段がある。おそらくこの段差の下が河川との境界だ。そしてこの上には(痕跡はなかったが)明治期の地図では細長い池があったようだ。ため池だろうと思う。私の地図には池の推定位置(若干はずれると思う)もプロットしておいた。他の大きい池も同様だ。

路地は段差を維持したまま宮前坂まで続く。過去の地図では、路地出口あたりから今度は谷の北側へと主流路を変えている。ここは道路形状ともども消失しているため、推定位置のプロットのみとなる。新道を作った時に不整形地になる場合、ある程度土地を整理することはある。

なお池は谷の南側に沿って3つが確認できる。谷底よりやや高い位置にあるが、人工池の跡の場合は微地形はあまり関係ないだろう。

池のほとりと思しきところにお社があった。

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池との境界であろう土地も、やはり段差を支えるやや古い感じの擁壁が健在だ(写真下)。戸越銀座温泉や戸越二丁目広場あたりも位置的に池の土地の一部ではないかと思う。ただし池は河川と違い、所有者が国や自治体だったとは限らない。

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さて、北側の流れを追う。一本北の路地あたりに顔を出しているはずである。

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上の写真(東=下流向き)のあたりで右から出てきて消失部分が終わっているのではないかと思う。左の家屋はセットバックしているが、その奥の家の擁壁部分はさらにもう一段階造りが変わっている。つまりセットバック前から道路に幅の差(=公共用地の広がり)があったのではないか。ただし、もう少し奥からという可能性も捨てきれない。悩みは尽きないが引き返して上流へと進む。

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同じ路地の上流側は写真上のような感じで、セットバックを考慮してもやや歪みが感じられる。と、左側を見てみると・・・。

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支流と言うべき排水路が接続していた。ごく短いがおそらく水路敷として残っているものだろう。表通り(商店街)までその敷地が続くのかはよくわからなかったが、こうしたものを発見すると予測流路としては自信がつくというもの。

さらに上流側へと進んで、戸越台中学の手前まで来た。そこにあるのは、暗渠サインとして名高い、これ。

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クリーニング店(写真は下流向き、背後が中学校)。現在の暗渠(地下に下水管が通る)である商店街ではなく、その通りから3軒奥にクリーニング店があるということの意味は深い。

ここで戸越台中学に突き当たって路地はなくなってしまう。いったん現在の地図に戻って、戸越台中学の敷地の形を見ていただきたい。南側が出っ張ったような不整形になっていると思う。これはほぼそのまま、蛇行の跡である(東京時層地図とか持っている方は第二京浜の東側を確認してみてほしい)。水路跡=公共用地の使い道として、学校用地の一部になるというのはよくある形式だ。

第二京浜を渡る。ここから南にも深い谷があったはずだが、道路に潰されてしまっている。本流跡と推測する土地には区営駐輪場があった(写真下)。土地の履歴はわからないが、ずっと公共用地だったとしたらこれも痕跡のひとつだろう。

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第二京浜より上流側も、商店街の通りより北側に流路があったと推測する。マンション階段下のこのグレーチング溝も位置的に川跡と重なる。ちなみにこの先は公共通路らしく、上に登ることができる。このあたりの崖は家屋の一階分くらいの高さはあり、少なくともその崖下を谷戸北側の水路が流れていたのではないだろうか。谷戸は田として利用する都合上、両端ともに水路がある場合が多く、またそれぞれがまったく別の川であるなんてこともある。

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これは商店街から戸越銀座駅の駐輪場(左の段差上に階段がありそこから入れる)につながる路地だが、このあたりを川が横切っていたのではないかと思う。埋まっているちょっと古い擁壁も気になる。このあたりは古い地図に細流の記載がなく、家屋形状から土地境界を想像し高低差を考慮したごくごく推定度合いの高いものであることをご了解願いたい。

長くなってしまったため、戸越銀座駅から先は次の記事で。ちなみに、冒頭で思い出した暗渠はここまででまだ出てきていない・・・。

中編(つづき)はこちら


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2015年06月27日

0607 新小岩の短い蓋暗渠

江戸川区には暗渠が腐るほどある。
しかし「公園」に定評のある江戸川区。
水路跡は親水公園/緑道化するか街路化するかのどちらかが多く、
実際に腐ったような暗渠というのはなかなか少ないもの。
(日本で最初の親水公園も江戸川区の古川。)

6月初旬、散策会「東京散歩革命」の下見時に、
いままで何度か通行していたはずの平和橋通りを歩いていたところ、
江戸川区と葛飾区の区境やや南に、いい感じの蓋暗渠があるのに今更気づいた。
位置としては江戸川区松島三丁目42、
新小岩公園方面から新小岩香取神社への水路跡がうねっているところである。

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▲平和橋通り側から。橋っぽい構造物が残っている。

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▲そちらを覗きこむと、立派な蓋暗渠が。一応地図にも道として描かれてはいる。
この暗渠、田圃の用悪水路跡の多い江戸川区のものにしてはグッと曲がっているのがまず+1ポイント。
(とはいえ太いものはけっこう川っぽく曲がってるが。)

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▲橋部分を水路側から見る。段差はわずかだが、橋っぽさは維持されている。
セメントを盛って申し訳程度に段差を解消した形跡が。

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▲こうした半ば放置された生活の匂いがまた+1ポイント。

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▲もうひとつ素晴らしいのが、途中に橋がそのまま残っていること。
家屋とコインパーキングのある土地を行き来するための橋だったようだが、
両側の同一所有者地を繋ぐものか、あるいは駐車場側に細い道があったのか。

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▲振り返った風景もまた良し。立木とトタン壁の家屋も暗渠沿いらしく良い味。

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▲こちらの家屋にも生活痕が。掃出窓と水場だろうか?

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▲先に進むと、残念ながらマンション建設中のため変な位置に植え込みが置かれている。

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▲新小岩公園方面へは一度右へ折れたあと、すぐに通り沿いに左へ折れる。
道路の段差は地図でも見てとれる。
その曲がりと曲がりの間の新しい舗装も、
なんとなく蓋っぽい凹凸が残っているように見える。


本来であれば「わかりやすい」暗渠のはずなのだが、
どうしてかこれまでまったく気づかなかった。
いつもだいたい歩行終わり頃に疲れて通る道だからだろうか・・・。
何にせよ、ほんの30メートルほどだが残っていて得した気分の蓋暗渠だった。


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2015年06月08日

0606 南小畔川 その6

その1はこちら

今回の地図はこちら

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南小畔川、いよいよ源流部の様子に迫っていく。
詳細は上記地図を見ていただきたい。

まず、山から流れる水源の方向へと進んでみよう。

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その5で途切れた水路は、やや広い市道を挟んだこの道路の下に潜るようだ。
あまり暗渠らしくないためここで流路を見失いがちだが、
グレーチングのあるところで右を向いてみると・・・。

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▲民地の間にこのような水路がある。これが本流の続きと見られる。

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▲最初の坂道を登り、未舗装の横道を右に入ると、上流部の様子が見られる。
これは下流向きの写真。意外にもしっかりとした水路である。

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▲上流方向。突き当りは曲がっているのではなく、民地に突っ込んでいる。

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▲さらに登って、一番山側の車道にこのような溝があり、ここが続きである。

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▲山側を見ると、こんな水路がある。これが南小畔川の最奥の水源のひとつである。
奥武蔵自然歩道に入ればもう少し奥の谷も見られそうだが、とりあえず止した。

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▲もうひとつ、すぐ西側に似たような水源がある。
道路が少しカクンとしているところの山側を見てみると・・・。

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▲山からこんな水路が覗いている。こちらは道路の側溝部分に流れ込んでいるようだが、
もしかするとそのまま南へ雨水管を行っている可能性もある。

以上が山からの水源である。

しかし、最初の写真の直進部分の白い倉庫の奥に、もうひとつの水路がある。
これも追っていこう。

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▲覗きこむと、このような水路が現れる。

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▲この続きは、西にあるのコの字型の街路に入れば見ることができる。
※ここ、よそ者はほとんど通らず、犬にも吠えられるので注意。
写真は下流向き。ただの側溝にも見えるが・・・。

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▲もう少しコの字街路を登る。側溝にしては不自然な境界、そして紅白の柵。
暗渠ファンであればピンと来るだろう。
これは道路施設としての側溝ではなく独立した水路敷の土地だ。たぶん。

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▲上流方向を向く。U字溝すらなくなったが水路の敷地は続いている。
いったいこれは何なのか?

答えは地図の「案内板」と書いた地点にちゃんとあった。親切。

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▲▼新旧の案内板がある。新しいものもかなり読みづらくなっているが。
「中山家範館跡」と書かれている。
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このあたりは戦国時代まで中山氏の館があったそうで、
推定幅4−6メートル・深さ1−2メートルの堀がめぐらされていたそうだ。

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▲館を囲む堀はこんな形状で、わずかに案内板のある北西側に空堀が残っていると書かれている。
そして図によるとここから流れる水路は「加治堀」と呼ぶらしい。
どこまでがそうなのかはわからないが、南小畔川の上流部も含む名称のようにも見える。

すぐ100メートルほど西の智観寺の水路は「丹生堀」となっていて、
これは飯能市の市街中心部を経て入間川に合わさる。
このふたつの水源に挟まれた位置に館があったとのことである。

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▲この草地の部分が堀の跡とのこと。
しかし案内板の地図と先ほどのコの字路地の水路敷を比べてみると、
あれも堀の跡地の一部であるのは間違いない。宅地造成時になお残ったのだろう。
館の堀の南辺は完全に宅地になってしまっているようだった。

南小畔川で一番西側にある水路は、この加治堀および中山家範館の堀の跡ということになる。
山には直接繋がってはいないが、堀跡が排水路として部分的に利用されているのは面白い。


以上が南小畔川本流の全貌だ(山の中を除く)。
ネット情報は錯綜していたが、源流部もしっかり見てみれば答えがハッキリしており、
川べり歩き・水路歩きの楽しみが詰まっている良き小河川だと思う。

全体で13-14kmほどなので、一日でも歩けないことはない。
トイレや店は少ないが長閑な中流部と謎解きの上流部というバランスは気に入っている。
歩いてみてよかったと思う。
タグ:飯能市
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2015年06月06日

0605 南小畔川 その5

その1はこちら

今回の地図はこちら

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更新間隔が開いてしまったが、南小畔川の5回目。
飯能市の市街地を流れる部分を追っていく。

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▲前回掲載の先はやはり工事中。川べりは歩けないようだが、いずれ歩けるようになりそう。
この区間はなぜだかゼンリン系地図で水涯線が消えている。
比較的しっかりした流れなのだが・・・まさか空からだと森で見えなかった?

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▲2本くらい、このような私道っぽい橋がある。無理してズームで撮影。
この先、迂回して歩く。

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▲いったん暗渠になり、八高線を越えてからの住宅地でふたたび出会う。
暗渠部分は小公園になっている。

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▲暗渠公園の奥、八高線の手前で顔を出している部分。
八高線を潜るところは最近改修したのか、比較的新しい造りに見える。

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▲公園が終わるとしばらく先で開渠になる。ここは横を歩ける貴重な区間。

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▲水路面は小さいが、両側に植え込みがあり水路敷自体はまだ広め。
沿って歩けないため、北側の市道を迂回。

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▲▼これらは北からの支流。このあたりはもう北側の山が近いのだ。
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▲途中の橋から本流を見る。なかなか立体的な植え込みで面白いが荒れている。
橋は私道や行き止まりが多く全ては網羅できない。

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▲ほんのすこしずつだが、薄暗い雰囲気になる。

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▲これも北側の支流のひとつで、さらに分岐している。
左に続く流れは加治神社方面へと比較的長く辿れるようだ(行ってないが上記地図に示している)。
家屋間の水路敷が広いのはこのあたりでも同じである。

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▲本流が次に見られるのは飯能スカイハイツ東側。梁のあるコンクリ水路になった。
ここから上流は谷戸田の跡がはっきりとしていて、
南北2本に分かれていた流れがここで合わさる。

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▲本流と同じ造りの開渠は南側に続いていく。団地脇の通路で辿ることができる。
水路敷自体は狭くなってきた。

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▲カクカクとした形状を保ったまま団地沿いに続く。
この団地の敷地は、昔はそのまま田んぼだったのだろうと思う。

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▲順調かと思いきや団地の先の中山陸橋(西)交差点付近で消えてしまう。
この先は地形も谷ではなくなってしまう。こちらはここで終わり。
道路造成前はもう少し続いていたかもしれないし、
あるいはもともと本流から分岐していたのかもしれない。
ちなみに交差点南の大きな木のところには石仏がある。

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▲団地の東側を暗渠で回りこんで北側に続くのが本流のようだ。

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▲西へ折れてから蓋暗渠になるが、地図上では開渠っぽく描かれている。基準がよくわからない。
宅地に出入りする橋はそのまま残っていて、あとの部分に金属蓋がかかっている。安全上の措置だろう。

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▲そのまま西へ進むと、築堤上の道路(中山交差点の南)をくぐる。

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▲反対側を道路上から見たところ。メッシュの蓋がかかっている。
ここでぐっとカーブする。

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▲下の道に降りる。さらにすぐ曲がって、小さな橋がある。名前はない。左が上流。

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▲橋の先は開渠だが、水路敷の幅も狭くなってきている。
いよいよ最上流部が近づいてきた。

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▲カーブして、北側の市道に続きがある(写真は下流方向)。こちらは蓋がかかっている。
南小畔川はここで少しの間地下化してしまい、上流部の流れがわかりにくくなる一因となっている。

※地図に元から水路が描かれている智観寺付近の流れは違うので注意(西へは進まない)。
 これは入間川水系である。小畔川系の南小畔川は並行する入間川とは合流せず越辺川へ向かう。


いよいよ次で最後。

その6(最終回)につづく
タグ:飯能市
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