より大きな地図で 笄川 を表示
笄川本流全体、および旧青山南町5・6丁目(長者丸方面)の支流を歩いてきたので簡単にレポートする。なお、今回は東京市及接続郡部地籍地図を主要資料としてマッピングし歩行した。

▲(画像01)地籍地図で追える笄川の跡のうち、青山南町六丁目方面の流れはここが上流端。南青山3丁目13−1のビル横に階段つきの妙なスペースがある。残念ながら通りぬけ不可だが、下水道台帳図ではここに下水管があるのは間違いない(通れるように書いてあるが)。

▲(画像02)奥はこのようになっていて、駐輪場の北側に窪んだスペースが計5軒分続く。自転車だったら入りたかったが係員がいるため近寄らず。入口がよくわからない駐輪場だが、屋台村みたいなところから入れる。

▲(画像03)駐輪場奥で北へ曲がるようだが、暗渠はない。すぐ北の道に続きの短い暗渠がある(南青山3丁目12と14の境)。短いながらも水路の面影が色濃い、このあたりではかなり珍しい暗渠道だ。

▲(画像04)下水道局のプレートもある。

▲(画像05)次の街路で右折し、この左側を流れていたようだ。すぐにクランク状になるがこれも直進せず左側。

▲(画像06)クランクの先で登り始めてしまうが、ここはマンション建設現場右側の土地境界のところをカーブしながら流れていたようだ。道路形状にもそれらしい出っ張りがある。通りぬけはできないし特に水路のスペースも残っていない。

▲(画像07)いったん形跡が消えるが、南青山3丁目7/8/9の出会うあたりに窪地がある。ここから東側の暗渠路地へ斜めに下水管が続くと下水道台帳図にあり、地籍地図と一致する。

▲(画像08)左斜め奥が上流。手前に向けて暗渠路地がある。ただし入口付近は幅が倍あるカラーブロック舗装でそれとは気づきづらい。グレーチングはこの地域によくあるものなのであまり関係なさそう。

▲(画像09)同じく上流向き。このような舗装なので一見わかりづらい。

▲(画像10)ホテルフロラシオン青山のある通りに出る。続きはガクンと低くなったこの部分で、ここに谷戸田があった時代の南側の水路を引き継いでいると思われる。ゼンリン系地図では細い私道が描かれているが、実際には入ることはできない。幅はそこそこある。

▲(画像11)仕方がないので、谷底の一本道を下流へ進む。ここが農地だった頃は2本の水路が並行していたようだが、この道が位置的に水田時代の水路跡かは怪しいと思う。北側の水路はこれより若干北の崖側にあり、ここの水田がなくなり道路と宅地ができた時点で消滅したのではないかと推測する。水田があまりに狭くなる気がするのだ。

▲(画像12)地籍地図によれば、この一本道の最東端部(本流と出会うあたり)にのみ、なぜか水路があったようだ。現在L字溝になっているあたりか、もう少し手前までか。これが北側水路の名残ではないだろうか。一方の南側水路の土地は地籍地図上では廣閑院の南で途切れる。
(あとで数枚差し込むかもしれないがとりあえず南青山5・6方面の支流はここまで)
<<<その他の発見>>>

▲(画像21)笄川上流部(青山プレミア裏)に逓信省の境界杭を1つだけ発見した。現在の外苑前郵便局が青山郵便局だった頃のものだろう。

▲(画像22)西麻布二丁目9と10の間、「コレヨリ私有地」がなぜ私有地かと言えば、元々ここは水路敷ではないからだろう。上流から歩くとこの表示のあたりから道が少し曲がるが、水路はまっすぐでしかもすぐに南へ折れていた(ただし現在は通路などはない)。もちろん下水管などはこの私道に付け替えられているのだろうが、元の水路敷が公有地のまま移動するわけではないのでこのような状況になっている、とほぼ確証が持てた。

▲(画像23)根津邸方面の支流のある谷の児童公園に馬頭観世音を発見。また公園の奥にはやたらと湿っぽい大谷石の壁があり、もしかすると水が滲み出やすいのかもしれない(単に雨水が落ちる場所なのかもしれないが)。

▲(画像24)地籍地図によれば、高樹邸方面からの支流の向かいに笄小学校までの水路があった模様だ。妙に広いため、支流というよりは排水のために作られたものかもしれない。現在鉄の小さな階段がある行き止まり道がそれっぽい。笄町住宅に突き当たって北に折れて笄公園奥まで行っていたようだ。
タグ:港区