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2016年10月16日

荻窪のいくつかの水路跡(荻窪暗渠展に寄せて)

今日は、当ブログからもリンクさせていただいている
lotus62さん( http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/
namaさん ( http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/ )
による展示「荻窪暗渠展」(杉並区郷土博物館分館・9/17-11/27)に行ってきました。
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さすがに見せ方が上手いなあ・・・というのが率直な感想です。
顔ハメとか、投票とか、ジグソーパズルとか、占いとか、蓋をあける仕掛けとか。
動的な仕掛けがあるとやっぱり良いですね。
私が展示を見ていた間にも、年齢性別様々なお客さんが来てました。

暗渠や川跡に関する展示はそれ自体珍しいけれど、
研究されている方々それぞれでもきっと違った方法でアプローチできそうなので、
もっと各所でこうしたものが行われれば・・・と思うところです。
まだ1月以上展示されていますので、まだ行かれていないみなさんもぜひどうぞ。

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さて、展示の中でも触れられていた
「観音川」(四面道から白山神社前を経て善福寺川へ至る水路)の現在について、以下で掲載したい。
観音とは流れの中ほどにある、光明院のことであるとのこと。
背景などについてはnamaさんの記事をぜひ参照していただきたい

で、私はあくまで「現在わかりそうな流路」について追っていこうと思う。
展示にもあったと思うが、水路跡探しには推理・パズルのような楽しみがあるものだ、
というのをちょっとでも表現できたらと考えている(私はそれを8割机上でやってしまうのだが)。

※地図は使い回しです。暗渠・水路跡を網羅したものではありません。


土地境界的に最上流部と言えるのは、銭湯gokurakuya横の中途半端な行き止まり街路。
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誰も間口としていないマンションとマンションの間のこの街路を残す意味はあんまりない。
右側がマンション化する前に奥に家があれば間口であったかもしれないが、
それなら公共の土地ではないだろうと思う(どこまで里道としたかは地域差があるが)。
下水道台帳図では公共の下水管はなさそうだが、
使用状況的にはずっと公共の敷地であり新規建築時に払い下げも受けていないということになる。
状況証拠としてでしかないがは私はここを確認できる限りの最上流部としたい。

そのまま下流方向へ進むとこの街路である。
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これも認定道にならない幅の、どの家も間口としていない街路で、先程の街路との連続性もある。
という状況から水路跡(全面が元水路)として採用したい。

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その先はマンション(右)と病院になってしまい水路部分は払い下げられているように見える。
見えづらいが手前側の2つの境界標の幅がおそらく水路の幅だろう。
そのまままっすぐ延ばせば塀の右側が続きということになる。
しかし病院側になぜか無意味な隅切り状の砂利敷があるのが気にかかる。
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塀があるのだから隣のための隅切りは必要ない。払い下げたにしてもここだけ砂利にする意味は?

実はこの病院には公開空地が設定されており、
別の側の様子を見ることができる(四面道交差点のラーメン店横の街路から入る)。
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ここだけはカラータイル舗装の公開空地とは様相が違ったが単に公開空地に含んでいないだけかも。
さきほどの水路跡の延長ではなくT字になる。参考資料に留める。

さて、さきほどの水路跡が直進すると仮定するならば、ここに出てくることになる。
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様子は見えない。幅としてはアリだが、街路側の道幅変化はゼロ。

一方、この家を1軒挟んだ四面道寄り(駐車場あり)には、
こんな蓋つき側溝があり街路のL字溝の下に接続している。
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民地間に私設の排水路があるのは街道沿いなど古い街では決して珍しくはない。
しかし東京ではそんなに見かけないし、
さほど低地とも言えない地域の排水路にしては幅がやや広い気もする。
普通に考えれば土地の無駄である。なのに残されている、ということは・・・・。
私としてはこちらに少し回り込んでいるというほうを支持したい。

ここまでは状況証拠しかないのだが、この先で四面道交差点に出てからはこの資料が使える。
都市再生街区基本調査成果の提供サービス(β版
同意して先に進み、当該箇所(リンクできないが)を表示して、
表示項目選択タブから「公図と現況のずれ」を選択。すると公図界が表示されるはずだ。
環八通りの西側に3本の並行した赤線(筆界)が見えると思う。
これにより形成される2つの隙間のうちどちらかが公図上の水路である確率が高い
(道/道という可能性もゼロではないが、こういう場合たいていは水/道か水/有地番である)。
もちろん道路造成時にそうなったものではあるが、現在の水路敷を知るには充分だ。

これが光明院の北東角まで続く。
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画像の右側の茂みが光明院で、少し小高い。その手前で3本線が途絶えて、道路反対側へ移る。
なお、地形を現地で見る場合には「改修された部分は見ないことにする」のが大事である。
つまり道路や線路や宅地や橋を造成するために上げ下げしたところは無視し、
元々の宅地や道があった高さはどこだろうか、と考えるのが手っ取り早い。
たとえば環八通り自体に暗渠があってもおかしくないが、地形の参考にはしない。

20161016_10.jpg
通りの反対側、右側が暗渠の小径である。
ここでは典型的な道路幅の変化が見られる。水路敷が曲がって離れれば、そのぶん道路が狭くなる。
これはつまり、使える公有地を最大に使って道路としているためであり、
水路も道路も敷地の扱いとしては公共の土地であるということを示す。
土地境界を考える時には「民地かどうか」が大切で、
「水」と「道」、或いは「水」と「公立学校」や「公園」の筆界なんて考えてもあまり成果はない。
互いに持ち主が市町村や国ならどうとでもなるし元々税金もかからないのだ。

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ここの暗渠を通るのも何年かぶりだけど、駅の近くにしては随分荒れている。
まあ善福寺川関係の脇の支流暗渠はどこもけっこう扱いが雑だが、
これは足立区なみの荒れ方だ。あ、褒めてますよ。

途中で1箇所分岐があり、白山神社前に出てくる短い支流がある。
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これはその支流側から見たところ。
これらの街路には下水道台帳図でも管が確認でき、「水路敷」の文字が入っている。
台帳図で水路敷の文字があれば、証拠としての順位は高いと言える。あまりないが。
支流のほうがどこに行くのかは区画整理後であるためいっそうよくわからない。
3方からの下水管が集まってはいるが・・・。
ま、区画整理されたきれいな街路で水路跡を追うのは徒労に終わる場合も多い。気にしないでおこう。

やがて線路にぶつかる。※暗渠展ではこのタイプの車止めに1票入れた。
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線路側のコンクリ壁に何かないかと思ったが、特に何も見いだせなかった。
水路が鉄道敷や古い壁を抜ける部分にコンクリの出っ張りがあったりする場合もあるので、
一応丹念に見ておくにこしたことはない。
たとえばこういうやつのこと。

線路の先はここに出る。かなり低くなっていることがわかる。
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ちなみに公図界もここに繋がっている。3つの敷地に分割されているが、
広いのは区画整理でできた道、残りどちらかが水路だろう。
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上写真右寄りが水路があった土地ということになるが、現在も暗渠が右側にあるとは限らない。
ただ、水路敷があったことは確かなようである、ということにすぎない。

再び環八通りに出る手前、レンタカー店の前でまた街路の形状が膨らむ(環八側から撮影)。
20161016_16.jpg
そしてすぐ先に下水道のマンホール2つが現れる。
20161016_17.jpg
このまま環八通り東側歩道を南下する。公図界にもまた3本の筆が復活する。
台帳図によれば下水管(合流管)は善福寺川手前で善福寺川上幹線に入り東へ向かうが、
雨水は荻窪橋下で善福寺川に流しているようである。
20161016_18.jpg
なるほど、橋の下を見ればけっこうなお口が開いている。

ということで、雨水の流れとしてはこのルートが概ね現在のものと言えるのではないだろうか。
環八の西側(上荻2丁目31)のガタガタした街路のあたりも怪しいが、
こういうのはそれだけでは確証がないため私は基本的に水路跡としては考えない。

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さて、もうひとつ個人的に行きたいと思っていた場所がある。
以前善福寺川を歩いた時には主に南側を歩いていたため撮り逃した蓋暗渠が近くにあるのだ。
ひとつは荻窪暗渠展でも紹介されていたが、もうひとつある。

紹介されていたほうがこちら(荻窪高校脇)。
公図界・台帳図とも何もないが現況としては立派な暗渠と言うほかない。
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もうひとつがこちら。
公図界が上流側横田医院横まではっきりと描かれているが、反対側の痕跡はわからなかった。
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これらは直接川に注がず、先程の善福寺川上幹線に結ばれていると思われる。
また公図界でも細い敷地がちょうど柵のある歩道と同じ位置に存在している。
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嵩上げでない柵つきの歩道は東京においては水路跡である可能性は割と高いと思う。
公園・学校・団地・公共施設敷地を切り欠いたものはその限りではないが、
ここの場合は公図とも一致する部分が多く、学校前だが敷地を提供しての歩道ではなさそうだ。

かつては忍川橋の下からこれらの雨水を排水していたようだが、今は出口が埋められている。
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現在の雨水の排出先は忍川下橋の下のようで、台帳図と現況が一致する。
20161016_22.jpg

で、問題はこれらの短い暗渠の上流がどうなのか、ということなのだが。
私は(展示での推測に反して)上流はないと思っている。
善福寺川には川によってできた崖の下あたりまでしかない、
私的には「ひげ暗渠」と呼んでいるごく短い暗渠が散在している。
例えば環八の西側、南荻窪3・4丁目にも3本の暗渠が確認できるが、どれもごく短い。
※過去記事にあるこれとかこれのこと。
 こんなようなモノと、状況的には同じなのではないかと推測する。

要するに、これらは水源から長く伸びて田畑を潤す用水路ではなく、
崖下の低地に溜まる水を流す排水路であるというのが私の認識だ。
きちんと調べてはいないが、かつてはもう少したくさんあったのではないかと思う。
続きがない水路跡というのは、あまりロマンがない考え方になってしまうのだが(笑)。
しかし水路探索者として「水は必要でもあり不要でもある」ことだけは忘れないようにしたい。

なぜそこに水路敷という土地が存在し、現在に至るのか。
まさに飽くことのないパズルである。本文でその思考の一端が示せたら幸いだ。
タグ:杉並区
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2016年04月03日

八王子の水路・暗渠 特集記事もくじ

2010年に特集2として以前住んでいた八王子東部地域の水路をいくつかふざけて紹介した。
目次ページを作っていなかったが、今回(2016年)この辺りの散策会をやろうと思うので、
紹介しやすいように目次を改めて作成しておく。
各記事とも写真がクリックで拡大なのが面倒だがご勘弁願いたい。

【特別編 2-1】打越川
男性向けデート記事風に書いているが意味はない。

【特別編 2-2】中谷戸
一人称小説風に書いているが意味はない。

【特別編 2-3】土入
女子向け(?)デート記事風に書いているが意味はない。

【特別編 2-4】釜貫・只沼・車石の西
熱血風に書いているが意味はない。

【特別編 2-5】車石の東
文体を変えるのが面倒になって適当に書いているが意味はない。


なぜこんなものを作ったかというと、2010年当時は暗渠ブログ・水路ブログもまだまだマイナーで、
特に私などは今でも箸にも棒にもかからない水路暗渠ブロガーなのだが、
まあ何かもっと楽しく読んでもらえないかなーなどと思ったのと、
文章で位置やら経路やらを示すのって悪手だよなという思いもあり(私はそういうの読むの苦手)、
ま、ちょっとふざけてみた次第です。反応あんまりなかったけどまたやりたいね。

タグ:八王子市
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2015年08月11日

0613 不老川下流部

不老川中流部の記事の続きです。
写真はほとんど下流向き。


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▲堀兼地域に入る。この先は農地が増えていく。

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▲一面の畑。強い風が吹き抜ける。

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▲アオサギ?を発見。

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▲空が広い。

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▲水道管? 構造物がないためやたら大きく見える。
ここからは川沿いを走る河岸街道が少し外れていくため、しかたなくその道なりに進む。
反対側なら川沿いに行けたかもしれない。

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▲いったん、川越市中福へ入る。酒店の前にあった古い庚申塔。この向かいにもある。
ここを川のほうへと再び折れる。河岸街道を直進すると新河岸方面に出られる。

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▲再び畑の中を進む。防風林が見える。

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▲支流が合流している地点。橋と木立がいい感じ。
堀兼の集落のほうから流れてくるもので、上流部は暗渠小径になっている。

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▲農機具を通すための簡易な橋があちこちにあるのも特徴。
橋桁が妙にかわいい。

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▲川越市に入る。相変わらずの畑地だが、たまに川の蛇行跡のふくらみが確認できる。
このあたりは未舗装で農道に近い。

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▲今福の住宅地が近づく。左はエースコックの工場。

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▲県道6号を渡る。

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▲関越道をくぐりぬける。ちゃんと下を通ることができるので迷わず進もう。

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▲城南中央病院南にある支流側から。
この支流の中流部は県道8号に沿う蓋暗渠だが、ほとんど私有地のように使われている。
今福の明見院の先あたりまで追うことができる長い支流だ。

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▲岸町三丁目。面白い形の構造物。これは何かというと・・・。

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▲支流の久保川との合流点にあるもの。
久保川は狭山市駅(旧入間川町)付近から流れていると思われる、これも長い支流。
入間川から導水していたのだろうか? いつかたどってみたい。

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▲ふとんが干してあるのがまた良い。もうひと息でゴール。

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▲東武線を超えたあたりでかなり川幅がゆったりとしてくる。

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▲ここが新河岸川との合流点(右が不老川)。特に何もない。
水流自体は先に見える道路の手前あたりで合わさる。
この先も中小の現役水路が多い地域だ。


ということで、これが不老川の下流の姿である。
最後のほうまで開放感がなく、あくまで小河川ですという体裁を保っている。
いかにも埼玉の平野部らしい、のんびりとした川である。ただし増水時は今も注意が必要だ。


※最上流部の記事はこちら

posted by しかすけ at 21:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 特集・企画記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月29日

0612 不老川中流部

だいぶ前(2013年)のものになってしまうが、不老川の狭山市から下流を歩いた時の写真があるので、2回に分けて紹介したい。

なお上流域については以前に掲載した以下の記事を参考にしていただきたい。
【特別編 6-1】不老川上流部・源流部(1)
また、上記と今回との中間に関しては単体写真記事としてアップしているので、入間市のタグでいくらか見られると思う。どちらにせよ、全域を歩行完了している。

一応触れておくと、不老川は古多摩川のひとつで、多摩川の流路が南に変わった現在は上記記事のようなぼんやりとした源流しか持たず、降水時以外は導水により水質を保っていると思われる。東京都瑞穂町から埼玉県入間市・狭山市を北東に向かって流れ、川越市で新河岸川に合流する。主な支流に入間市・所沢市の林川・樽井戸川があるが、元々水に乏しく水害もまた多い地域であるため、人工河川である部分も存在する(上林川など)。現在の不老川中流部も大雨の時には溢れそうになり、渇水時にはほとんど枯れている箇所がある。支流も含め、ほぼ全域で流路の直線化が行われているが、旧流路の名残も各所に伺える。

では写真を見ていこう。


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▲入間市と狭山市の境界近く、林川の合流地点(上流向き)。林川は県道8号からここまで道路下を通っている。近くにはこの地域では数多い石橋供養塔がある。ここから狭山市側が今回の起点。

※これより、写真はほぼすべて下流向き。

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▲歩道のない二車線道路に沿って、入間基地との間を流れる。護岸のコンクリートが古く、幅も狭い。ただし背後に遊水地(と導水施設)がある。この橋は必要性が謎。一応、基地の金網側も歩くことができ、また左側も歩行者だけ通れる道がある。時期によっては雑草で歩きづらい。ちなみに当ブログのタイトルロゴ画像はこのあたり。

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▲旧流路を利用したと思しき浄化施設の跡が分岐する。以前の記事を参照。

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▲浄化施設がふたたび合流する地点。

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▲基地の影響下を脱して、ややゆったりとした川べりの散歩道となる。ただしあまり人は歩いていないし、蛇行していた頃の名残か、私有地の畑がせり出している箇所もある(杭の川側を通れば問題ないとは思う)。

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▲不老川は水質ワースト等の不名誉な記録で名を馳せた(?)時期があったためか、この手の看板が多い。それももう大半が色あせたり壊れたりしている。

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▲中流部から下はかなりの堤塘部分が歩行可能なのはありがたいところ。

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▲川べりにイタリアンの店。入曽から先は散歩する人もよく見かけるようになる。

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▲大きな木が多く、気持ちのよい散策路。

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▲不老川沿いは水田はほとんどなく、畑地ばかり。東京側と違って谷も少なく、水の確保には苦労したのだろう。

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▲橋と段差。もちろんこの水量も導水あってこそである。

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▲暗渠となっている支流(?)からの水量はご覧のとおり。

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▲山王中学校の南、水辺まで降りられる公園のようになっている箇所。あまり整備されていないが、不老川の中では貴重である。水害があったせいなのか、あまり公園化と結び付けられていないのだ。

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▲その先で、堤防は唐突に緑のトンネルになる。ここはちょっと見もの。

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▲まあ、すぐに終わってしまうのだが。ここから少し行くと堀兼という地域。
防風林があり新田集落などとも言われるが、ほぼすべて畑地。
やはりというか、土地が平らで風が強い。東京の河川とはまるで違う風景と歩行感。

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▲真新しい県道126号。不老川歩行では貴重なコンビニとうどん店が右手にある。
ここでいったん休憩としよう。

次回に続く!


タグ:狭山市
posted by しかすけ at 22:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 特集・企画記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月02日

0611 宇喜田川

2015年7月12日(日)に新川・宇喜田川を歩くイベントを行うので、
その予習記事ということで、まだ掲載していなかった宇喜田川を取り上げたい。

なお写真は2013年のものと2015年のものが混在するので、ご注意を。


今回の地図はこちら


東京都江戸川区の宇喜田川は新川の支流で、荒川放水路ができる前は東砂方面まで続いていた。放水路完成後は東側だけが残り、新中川と新川を結んだが戦後早い時期に埋められた。


西葛西駅から行船公園方面へと続く道は十八軒川の跡。これをまずはどんどん進んでいく。
十八軒川は宇喜田川に繋がっていた川で、
元々両側に道路があったため埋められたあとも二車線道路として活用されている。

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▲旧小島地域に入ると、ちょっとした商店街になる。
この通りを旧小字から棒茅場(ぼうしば)通りと呼ぶ。
「茅」を「し」はちょっとないだろうと思うが、
地図によっては「棒蘆場」とあるので、「ぼうあしば」から来ているのかもしれない。

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▲川から細長く伸びる耕地がそのまま宅地化しているこの地域は、路地が多い。
低地であるにもかかわらず盛り上がっているのは堤防跡だからだろう。

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▲かつて小島バス停付近にあったという十八軒水神宮は、
北葛西二丁目12のジェーソン近くに遷っている。

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▲宅地間の排水路敷だろうか。
たまにこういう空間はあるが、基本的にわかりやすい暗渠は少ない。

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▲新中川側の街路に入る。
生活感のある、かさいストアーと小島湯。私の好きな一角。

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▲小島町バス停の北、少し広場のようになっている交差点から西へ進む道は、
かつて旧葛西橋・葛西小橋に繋がっていた道で、新中川のほとりに食堂小橋屋の建物が残る。

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▲旧葛西小橋までの道は盛土されていて、今も周囲と段差がある。

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▲交差点奥、宇喜田川の河川敷を使った小島遊園。
そのコンクリート壁は堤防を利用したもの。

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▲その堤防跡には丁寧な説明板がある。
宇喜田川・十八軒川の歴史についてはこれを見ていただきたい(クリックで拡大)。
こんなものを、各川跡ごとに作ってくれたら良いのだが・・・。

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▲宇喜田川は宅地化された部分が多いが、幅の一部は改めて暗渠としても使われている。
これをたどってみよう。

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▲外水道がいくつかあり、暗渠っぽさが増す。

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▲やがて車道はなくなり、完全に暗渠小径となる。
これは旧河川敷の東側に寄っていると見て良い。
なぜか地図では道自体が描かれていないが、ちゃんと通りぬけできる。

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▲わかりやすい開渠の支流がある。このあたりの運河・用水以外の水路敷はみなごくごく狭い。

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▲このあたりが一番良い景観(暗渠ファン的に)。
この暗渠、開渠だったことがあるのだろうか・・・。
そもそも川を埋めて改めてこの水路を作らなければならなかったのか謎だ。
新中川には構造上流せないから排水路が必要だったのか。

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▲やがて公園に出る。宇喜田川公園である。誰もいないけど。
この先の河川敷は駐車場、そして宅地として使われている。

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▲対岸の豊榮稲荷神社横にある古い石仏群。
隣接する第一三共工場内にも神社があったようだが、現在はよくわからない。

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▲こちらは七軒町の水神社。川跡近くの町会会館の横にある。
十八軒とか七軒とか六軒とかいうのは、すべて小字名である。
バス停の名前としていくつか残っている。

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▲新川と宇喜田川の合流点は新川休養公園という小公園になっている。
かつては新川の対岸へと渡舟、そして宇喜田橋があったがしばらく廃止されていた。
近年の(過剰とも思える)新川の整備で公園前に人道橋が新たに造られた。

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▲新川沿いは運河の街として栄えていて、現在も路地が数多く残されている。
一見暗渠に見えるものが多いのだが、ほとんどは違うと思われる。
明治期までの基準でできた本物の路地だ。そしてこのあたりの宅地間の水路は、
たとえ現存していても先ほど見たようにものすごく幅が狭いのだ。

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ということで、「東京散歩革命 新川・宇喜田川〜運河の時代を歩く」は
2015年7月12日、13時30分西葛西駅改札前集合です(参加無料・小雨決行)。
ご参加お待ちしております。詳細は↓↓↓
http://shikasukeito.blogspot.jp/2013/02/blog-post.html

 
タグ:江戸川区
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2015年06月29日

0610 戸越銀座の暗渠・川跡(後編)

※これは戸越銀座駅付近から北に伸びる水路跡の記事の続きです。
 前回まではこちら→ 前編 中編


今回の地図はこちら(前回と同じ)。


コンクリ部分が終わり、中原街道に出る手前はこのようなカーブになっている。ここは二択を迫られる。道の下か、筆界かである。私は筆界、つまり道ではない、建物の左側が川跡だろうと思う。

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よく地図を見て欲しい。まず、中原街道は新しい道だから、その両側の街路はもともとつながっていた可能性が高い。たとえば暗渠の1本南西側の道がそうだ。

一方、中原街道に南東側からつながる街路を見てみると、中原街道の20−25メートルほど手前で角度修正して、直角に近い角度でぶつかってはいないか。これは大通り沿いを不整形地にしないための措置だ。この暗渠路地もその例に漏れず、ほぼ直角に中原街道に向かう。元の川がそうであったかといえば、たまたまそのように流れていない限りおそらく違うだろう。

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中原街道側から覗いてみると、あれ、なんかこう、溝があったような変な亀裂があるじゃないですか。これはかなりあやしい。で、この次の区間が今回本当に見たかったところ。中原街道を渡ってなお、この続きがある。はず。ストリートビューではいまいちよく見えないが、地図ではやっぱり家と家の境が、ちょっと湾曲している。そう、筆界は裏切らない。

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で、反対側の歩道にはこんなものがあり、じゃあっつって左手を覗いてみたらよ。

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あこりゃ期待にたがわぬ蓋暗渠ですわ。なぜだかスクールゾーンの柵で遮っているけど、立派な暗渠だ。これが見たかったんだよ。これが。これ見れただけで今日は80%満足。

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奥をズーム。ちゃんと続いている。右側にやや壊れかかった低い擁壁もあるようだ。カーブしているので見渡せない。反対側へ回ってみる。

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まったくきれいに蓋暗渠が続いている(写真上、下流向き)。いやー素晴らしい。こっちもなぜかスクールゾーンだけど。普通のトラ柵はなかったのか、品川区。隣のマンションのコインランドリーの案内矢印が暗渠を指しているように見えてしかたがないのは自分だけか・・・(写真下)。

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さて、この流れは地図でもわかるとおり、品川用水から出て星薬科大学の横を流れてくるもの。ここはlotus62さん(高山さん)が以前に少し書かれている。『暗渠マニアック!』発売おめでとうございます(この日に書店で買いました)。本田さんの記事と高山さんの記事、つながってたんですね。

ということで上流へと進む。蓋暗渠から身を翻すとこんな街路で、一見川跡っぽくない。

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ただし左側に隠しアイテム、銀座三越提供(?)の町名案内板あり。

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進んでいくとまもなく星薬科大学が左手に見える。右側は荏原第一中学校。下の写真のあたりでわかりやすく暗渠になる。歩道が始まるからだが、右側の道幅が変わっているのにも注目。ここは水路のほうがカクンとなっていたように見える。クランクは水路がまっすぐな場合と道がまっすぐな場合の両方があり、また公図を扱う仕事の経験上、平行したままカクンとする場合も見たことがあるので早合点は禁物だが、歩道が水路敷ならまあ良しとしよう。

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写真上の道幅の変化。これは地図で解決、手前から右への道が先にあり、向こうからの道があとでできたようだ。歩道暗渠は続いているのでどうでもいいか。

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この歩道暗渠、なぜか一度車道と離れて登る(写真上)。そしてそこだけ蓋暗渠になる(写真下)。

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なぜ登ったのか。しまいには、またすぐ降るのである(写真下)。用水だから高いところから分水していく必要はあるだろうが、この部分に何かあったのか、元々の土地の高さなのか。ここだけ蓋暗渠ということは、何らかのメンテナンスができるようにという措置なのは間違いないと思うが。水車とか埋まってたら面白い。

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降ったあと、まもなく品川用水に出くわして上流端となる。このスクールゾーンは本物である。スクールゾーン暗渠と言ってもいい(よくない)。

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ということで、戸越銀座の暗渠・川跡シリーズ三部作は(単に写真が多いから分けただけだが)これでおしまい。間違っている推測もいくつかあろうとは思うが(正解は法務局に公図でも取りに行かないとわからない)、散策家としてはおもしろく歩くことができたし、地図・写真からの情報と現地での状況を結びつけて妥当な流路を見つけていくという推理もやはり楽しいものだと再認識できた。これだから川跡調べは素晴らしい。

今回大いに参考にさせていただいたお二人の著書、本田創さん『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』/吉村生さん・高山英男さん『暗渠マニアック!』皆さんもぜひどうぞ。
※リンク先はAmazonです。

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0609 戸越銀座の暗渠・川跡(中編)

前編の続き。

今回の地図はこちら(前回と同じ)。

戸越銀座駅西側で北に分岐する谷があり、これは前編冒頭の本田さんの記事に(途中まで)書かれている。ここではまず西へ進む流れを追う。

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駅のすぐ西、流路としてマッピングした位置に、またクリーニング店を発見。ここも商店街から奥まった位置にあたる。あとはあまりこれというものは感じ取れず、商店街の通りの1軒分北に1メートルに満たない段差(写真下)が続いていて、おそらくその下あたりかなあ、などと思っているうちに中原街道・荏原二丁目交差点に出てしまう。

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交差点より先、旧中原街道までの二車線道路には、途中までしかない細い歩道と、マンションがやや後退したと思われる細い歩道の両側があるが、その部分が暗渠かまでは断言できない(私は水路敷の歩道利用は足立区くらいわかりやすくないと信用しない)。

旧中原街道を渡って直進かと思うかもしれないが、ここは少なくとも川跡の土地としては右折しているのではないか。写真下、妙な植え込みがそれだろう。黄色いブロックのほうが下流、手前が上流。旧道沿いにここだけ植え込みと歩道を作る意味はなく、道路用地ではないと見るのが妥当だと考える。

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植え込みの角を曲がる。明治の地図ではこの荏原二丁目10・11あたりも狭い谷戸田になっていたようで、両側に水路ということもありうるが、とりあえず私のマッピングした地図ではこちらを採用している。車はほぼ入れず、出っ張って造られた水受けがあったりして、非常に暗渠っぽい。

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降りてくる階段があるのも説得力を増す。もともと繋ぐ必要がある道同士はこんなことはしないのだ。

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10・11の境のところで道幅が変わる(写真上、下流向き)。境となっている道も、こちらにやや降って来て幅も暗渠っぽいが短いため不明(写真下)。

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さらに進むとT字路になる。ここも微妙に道路形状がおかしいことに気づく。先ほどの道幅変更が水路敷+道路と仮定しそのまま直進したならば右側が水路のはずで、ここで左に曲がっていることになる(写真下、上流向き)。なんて現地で気づいたようなことを言っているが、ここまでほとんど机上で調べたことのなぞりである。

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曲がった先は品川用水が待つのみで、水路跡らしい痕跡は乏しいが、下のほうの大谷石が擁壁の跡っぽくはある。この写真の背後に品川用水があり、地図では表現されていないが最後にわずかにクッと曲がって終わりとなる(合流点とか別になにもないから写真も載せないよ)。

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本流はここまで。北の谷に行こう。というかそっちに行きたかったのだ。


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ここは何というか、端正な暗渠だ。これぞという暗渠だ。誰に紹介しても「なるほどこれが」と言って貰えそうな、そういう暗渠。ちなみに歩いている人も普通にいた。

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コンクリ舗装というのが個人的には好き。マンホールを踏むとかなりポコポコと音がする。ここまで1日おきに歩いている疲れのせいか、写真が傾きまくりでごめんなさい。

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左から階段が降りてくる。どうやって建てたのかという家がひしめく路地だった。

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分岐がやってきた。右の暗渠道はごく短く、続きもよくわからない(写真下、下流向き)。雰囲気は似ている。小さな池があったようで、それに繋がる流れだった可能性はある。池の位置はここも推測。

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戻ってきて、コンクリ部分を追いかけていく。ちなみに西側に短い支流みたいな路地があるが水路跡かどうかは不明。幅は似ているが・・・あまりに短い。

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このアパートの炊事場みたいなところの前でコンクリは終わってしまう。でも、ここで終わりはないでしょう。そう、この先を確かめに来たのだから・・・。

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また写真点数が増えたので後編に続く


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0608 戸越銀座の暗渠・川跡(前編)

つい数日前、本田創さんのブログ記事「戸越銀座最深部の暗渠へ」を読ませていただき、ふと思い出したことがあった。以前、戸越銀座にあるケーブルテレビ品川さんの2番組に出させて頂いた時に、ついでに歩こうと思いつつ行かずじまいになっていた暗渠があったのだ。もっとも、机上調査ばかりで歩かない暗渠のほうが多いのだけど・・・。

せっかく思い出したことだし、夏場からは取れる時間も少なくなるので、今のうちに歩いてしまおうと思う。どうせなら戸越銀座の谷全体を一度に歩きたい。

今回の地図はこちら



自分は暗渠・川跡を調べる際には、非常に直線的なやり方をする。

第一にさまざまな地図・航空写真というヒントから流路を推測する。第二に現地で実況見分した結果と推測を照合し、妥当かどうかを判断する。ひたすらこれである。基本的に文献や証言は集めない。自分は地図屋であり、また散策家だから、これで充分楽しめてしまうのだ。

何よりも、筆界は裏切らない(筆界=土地の境界線)。明治の地租改正時に決定づけられた地番と筆は、全体を覆すような区画整理でもしないかぎり、かなり残っている。逆に土地境界の形状にすら嘘をつかれたのでは、我々は安心して家も建てられない。もっとも私は別の意味で建てられないが・・・。いつか地図と散策で家を建てたいものである。


前置きはこのくらいにして、今回は東海道新幹線より西の戸越銀座の谷を歩く。それより東はまったく様相が変わっていて、そもそも戸越じゃないので。現在は長い直線の商店街として有名な戸越銀座界隈は、大正頃までは田圃や湿地だった。南北両側に坂・崖がありそちらが一足先に宅地化していき、谷底の直線的な道路は後からできたものだ。戸越の川跡が直線だったわけではない。

明治〜大正の地図において、戸越の川の流れはおおむね西から東へと進み、現在の戸越銀座の東端(三ツ木通り会)で南東へと曲がっている。机上では、この曲がりが土地境界に表れている。まずはここを現地で新幹線のほうから見てみよう。

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北西(上流)を向いた写真。駐車場は崖下にあり、2本の階段がある。低いほうの石積みが、おそらく河川敷との境界である。地図では反対側(商店街側)に上から見ると三角形の家屋があるが、土地が昔からこう切れてでもいない限り、こんな家は建たない。どちら側にも河川敷そのものはないが、筆界にその川跡は「はっきりと」残っている。下の写真、駐車場の川筋を伸ばしたあたりに埋まっている石がもしかすると遺構かもしれない。
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谷筋は三ツ木通りからしばらくは商店街の道とほぼ平行する。下水道台帳図で雨水管が始まる位置にある三ツ木公園は元は公設市場だったという。小さな敷地だから、おそらく公設小売市場なのだろう。その公園付近には旧三井邸(文庫の森・戸越公園)方面への道が南西に伸びていたようだが、これは完全になくなっている。しかし幸い川跡とほとんど関係ない。

戸越銀座に入り川跡が蛇行し始めるのは、おそらく戸越二丁目6のあたりからである。以下の西(上流)向きの写真を見ていただきたい。

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商店街の通りは確かに触れ込み通りの「ほぼ」まっすぐだが、なぜか左右にズレがある。この左側(南側)こそ、川の蛇行跡である。水路敷は公共用地(現在は市区町村のもの)だからここまではそれを利用して道路にしたのだろうが、ここからは曲がるために川跡を追って道路にするのは諦めたのだろう。

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染物屋を発見(写真上)。これが商店街には間口がなく、南の奥に入ったところにあるというのも、川跡が通りを外れているためかもしれない。この少し先で、蛇行側へ入れて通りぬけもできる路地を覗いてみた。

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階段がある。おそらくこの段差の下が河川との境界だ。そしてこの上には(痕跡はなかったが)明治期の地図では細長い池があったようだ。ため池だろうと思う。私の地図には池の推定位置(若干はずれると思う)もプロットしておいた。他の大きい池も同様だ。

路地は段差を維持したまま宮前坂まで続く。過去の地図では、路地出口あたりから今度は谷の北側へと主流路を変えている。ここは道路形状ともども消失しているため、推定位置のプロットのみとなる。新道を作った時に不整形地になる場合、ある程度土地を整理することはある。

なお池は谷の南側に沿って3つが確認できる。谷底よりやや高い位置にあるが、人工池の跡の場合は微地形はあまり関係ないだろう。

池のほとりと思しきところにお社があった。

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池との境界であろう土地も、やはり段差を支えるやや古い感じの擁壁が健在だ(写真下)。戸越銀座温泉や戸越二丁目広場あたりも位置的に池の土地の一部ではないかと思う。ただし池は河川と違い、所有者が国や自治体だったとは限らない。

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さて、北側の流れを追う。一本北の路地あたりに顔を出しているはずである。

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上の写真(東=下流向き)のあたりで右から出てきて消失部分が終わっているのではないかと思う。左の家屋はセットバックしているが、その奥の家の擁壁部分はさらにもう一段階造りが変わっている。つまりセットバック前から道路に幅の差(=公共用地の広がり)があったのではないか。ただし、もう少し奥からという可能性も捨てきれない。悩みは尽きないが引き返して上流へと進む。

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同じ路地の上流側は写真上のような感じで、セットバックを考慮してもやや歪みが感じられる。と、左側を見てみると・・・。

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支流と言うべき排水路が接続していた。ごく短いがおそらく水路敷として残っているものだろう。表通り(商店街)までその敷地が続くのかはよくわからなかったが、こうしたものを発見すると予測流路としては自信がつくというもの。

さらに上流側へと進んで、戸越台中学の手前まで来た。そこにあるのは、暗渠サインとして名高い、これ。

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クリーニング店(写真は下流向き、背後が中学校)。現在の暗渠(地下に下水管が通る)である商店街ではなく、その通りから3軒奥にクリーニング店があるということの意味は深い。

ここで戸越台中学に突き当たって路地はなくなってしまう。いったん現在の地図に戻って、戸越台中学の敷地の形を見ていただきたい。南側が出っ張ったような不整形になっていると思う。これはほぼそのまま、蛇行の跡である(東京時層地図とか持っている方は第二京浜の東側を確認してみてほしい)。水路跡=公共用地の使い道として、学校用地の一部になるというのはよくある形式だ。

第二京浜を渡る。ここから南にも深い谷があったはずだが、道路に潰されてしまっている。本流跡と推測する土地には区営駐輪場があった(写真下)。土地の履歴はわからないが、ずっと公共用地だったとしたらこれも痕跡のひとつだろう。

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第二京浜より上流側も、商店街の通りより北側に流路があったと推測する。マンション階段下のこのグレーチング溝も位置的に川跡と重なる。ちなみにこの先は公共通路らしく、上に登ることができる。このあたりの崖は家屋の一階分くらいの高さはあり、少なくともその崖下を谷戸北側の水路が流れていたのではないだろうか。谷戸は田として利用する都合上、両端ともに水路がある場合が多く、またそれぞれがまったく別の川であるなんてこともある。

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これは商店街から戸越銀座駅の駐輪場(左の段差上に階段がありそこから入れる)につながる路地だが、このあたりを川が横切っていたのではないかと思う。埋まっているちょっと古い擁壁も気になる。このあたりは古い地図に細流の記載がなく、家屋形状から土地境界を想像し高低差を考慮したごくごく推定度合いの高いものであることをご了解願いたい。

長くなってしまったため、戸越銀座駅から先は次の記事で。ちなみに、冒頭で思い出した暗渠はここまででまだ出てきていない・・・。

中編(つづき)はこちら


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